写真は記録というのは認めるが、それが本質でもましてや全てでもない


実は最近京都の写真を投稿したくてtumblrというものを始めました。

京都の写真と言っても和の風情が溢れる写真ではなく、地元の人と同じ目線で見た日常的な街の写真がほとんどになります。

というのも昔、「バスDEコロコロ」という京都の今でいう街ブラ系の番組があったんです。
その番組は有名な観光地が一切出てこずに、何気ない街中を歩くというもので、これが非常に心地良いものでした 。

地元な京都。

この感じを何とか実現出来ないかと数年前から試行錯誤していたのですが、中々思う様には行きませんでした。

ミニコミ誌やブログをやってみたり、また写真ではトリップ雑誌のごとく良い感じに切り取ったり面白い瞬間をスナップしてみたりもしました。

そして最終的にたどり着いたのが「記録性」というものでした。

大量の写真を時間経過と共に流していく。
写真でそれをやるには恐らくこれが最善なのではないかと思います。


請売り感がハンパない

「写真って、結局は記録だよねー」

僕も以前はこういうセリフを吐いていました。
更に綺麗に切り取ったいわゆる「お上手な写真」をどこか見下したりもしていました。

しかし現在は記録という言葉を好んで使う事はありません。

理由は請売り感がハンパないからです。

おそらくこれは森山大道氏に影響された方が「写真は記録」という言葉をよく使われているのだと思います。

その真意を理解しているのなら良いのですが、一体どれくらいの方が理解されているのかはちょっと疑問を感じたりもします。

※ちなみに僕は森山大道氏が大好きで、どハマリしていた時期もありました。
それを証拠に森山氏の語録記事を書いた事もあります↓

森山大道氏の心に残った言葉を列挙してみた(名言集ではありません)
僕は一時、森山大道氏にどハマリしていました。 「写真は上手く撮らないといけない」という観念に疑問を抱いていた時で結構長いスランプの頃でした。 そんな時に森山大道氏の動画を見つけ、何気に見てみた所、見事にどハマりしたという訳で...


別に記録が写真の本質では無い

結論から言うと、別に「記録」が写真の本質という訳ではありません。

そういう性質をかなり色濃く持っているのは確かですが、そこが根本ではないという事は間違いありません。

では何が本質かと言いますと、それは「複写」になります。

今後どれだけ便利な機能が追加されようとも、絶対に免れられない宿命的な事柄。
古今東西、写真機は「目の前のものを複写する機械である」という事、これが本質になります。

そして写真はシャッターを切ったその瞬間から現実との乖離が始まり、時間が経てば経つほどタイムカプセル化していく。
つまりこれが「記録」という訳です。

それを証拠に絵画で目の前の光景をどれだけ実写的に描いたとしても、記録性は弱いと思います。

が故に、実は写真は自分のイメージや世界観をそこに反映させるのが最も不得意な分野であるという証明でもあります。(テーブルフォトやスタジオポートレートは別かも)

写真に出来て絵画に出来ない事。それが複写であり、故に記録するという事です。


だからと言って、やってはいけない訳ではない

写真が自分のイメージや世界観を反映させるのが最も不得意な分野だからと言って、別にやってはいけないという事ではありません。

ただ、苦労は多いんだろうなという気はします。

以前、昔の外国の街並み風な写真を撮ろうとした事がありました。

実はこれ、京都です


でも、いざやってみるとかなり難しい事が解りました。

昔の外国みたいな街並みを、現在のしかも日本で撮るにはあまりにも余計なものが写ってしまいます。

一日中歩き回っても結局10枚足らずしか撮る事が出来ず、計画は結局頓挫してしまいました。

やろうと思えば出来ない事はありませんが、その風景を探すのにかなりの時間が掛かってしまうので道のりはかなり遠くなるでしょう。

どうしてもそれを表現したいのなら明らかに絵の方が向いています。


「記録」という言葉を使わずに記録性の強い写真を表現してみました

冒頭でお話した地元な京都の写真の話に戻ります。

今回は記録性の強い写真を大量に流していこうと思うのですが、やはり記録という言葉は使いたくありません。

ですので別の言葉でそれを表現してみようと思います。

そこで閃いたのが「Time Line」という単語です。

SNSが日常になっている現在ではおなじみの言葉ですが、まさかここにつながるとは思いもよりませんでした。

という訳で新しく始めたtumblrのタイトルは「京都の平日~Time Line~」に決定しました。
京都の平日~Time Line~
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