写真を見る(観る)力を鍛える方法


長いスランプを経験して、その中から得た1つの気づきに写真には「撮る力」があるのと同様「見る力」というのも存在するという事です。
そしてこの2つは両輪関係になっていて、撮る力だけを鍛えても頭打ちになってしまうという事が解りました。

良い写真を撮る人は写真を撮るテクニックに長けているというよりも、むしろ見る力が素晴らしく、それを見事に撮る力に還元しているという印象を受けます。

いくら高い服をたくさん持っていても、着こなし上手じゃないとオシャレさんになれないのと同様、いくら凄いテクニック、例えば「ここから何mmのレンズで切り取るとこんな写真になる」という目を持っていたとしても、そもそもその光景を「良い」と感じる感性をもっていないと良い写真を撮りようがありません。

そこでここしばらくは「写真を見る」という事に着目して日々を送っていました。

世の中には「写真を撮る方法」に関してはたくさんの情報があるのに対し、「写真を見る方法」に関してはほとんど情報が(というよりも需要が)無く、現在の写真文化に圧倒的に欠落しているのがこの「写真を見る」という観点ではないかと思った程です。

そこで今回はこの「写真を見る」という事についてお話していきたいと思います。


写真を見る(観る)力を奪う2つの要因

というのも無理も無い話で、環境がそうなってしまっているというのもあります。
今のこの環境下では写真を見る力を養うのが難しく、要因は以下の2つが考えられます。

・写真の洪水警報
・上手な写真=正義

写真の洪水警報

これは言わずもがなですが、SNSはほんの一瞬わずか1スクロールで写真が消費されてしまいます。
情報量が多すぎて、1つ1つの写真をじっくりと見る事が出来ないんですね。

その結果ただ何となく受動的にしか写真を見る事が出来ず、それはもう見ているというよりも表面をなぞっていると言った方が正しいかもしれません。

おそらくあの中には歴史に残る名作もかなりある事でしょう。


上手な写真=正義

これは特に技術的な事一辺倒にやってこられた方によくある思い込みです。
「上手な写真=良い写真」とは限らないですし、そうじゃ無いという事も結構あります。

とある写真家の写真集を買った時に経験した事なのですが、その写真集に載っている写真はいわゆる「上手な写真」ではなく、どう見ても何も考えずにさっと撮った写真が並んであるだけという感じでした。(ちなみに内容はヨーロッパの街並みという、僕の好きなジャンルです)

プロの写真家が何千枚という写真の中から選んだ数十枚から構成されていて、それをわざわざ本にするのですから、何かあるに違いないのは確かです。
だから僕はどのように上手なのか?という事を色んな角度から写真を眺めてみる事にしました。

出た結論はそもそも上手に撮っている訳では無かったというもので、上手だけが写真では無いという事に気付いた要因にもなりました。
それと同時に「どの様にして見れば良いんだ!?」という疑問も出てきました。(実はかなり混乱しました)

その写真集にはその写真家の方には見えていて、僕には全く見えていないものがあるのは確かです。


写真を見る(観る)力の鍛え方

それでは写真を見る力の鍛え方についてお話していきましょう。
今回は技術的に云々という事は横に置いておきます。(それは「上手な写真=正義」の範疇です。)

「写真を見る」という行為は別に写真を撮っている人しかしてはいけないという事はありませんし、写真を撮る事を趣味にしていなくても、見る力をグングン伸ばしても良いはずです。

音楽、映画等はそういう方がたくさんおられますし、むしろ写真以外のジャンルではそっちの人口の方が多いです。(たしかに撮っているからこそ見えるものがあるというのも事実なんですが)


要は感性を磨くという事

要は感性を磨くという事で、この感性とは何ぞや?という事になってきます。

これに関してはこの部分を研究されている小阪裕司さんという方がいて、 小阪氏の著書の中から引用してみたいと思います。


「感性を磨く」というと、多くの人が
-難しそうだなあ。私なんか感性ぜんぜんないですから……-
などといいます。

それはあなたが「感性」というものについて、次の事実を知らないからです。
実は感性を磨くのはカンタンなのです。

「感性」とはそもそもどういうことでしょうか。
あなたも「感性」というと、「美しいものをデザインする力」、「すごくきれいなものをコーディネートする力」などと勘違いしていませんか?

「感性」というのは、ものを見る力、見ることができる力のことを言います。そしてだからこそ「感性」は生まれついてのものではないんです。後に身に付くものなんです。
-それはどういうこと? 少し説明しましょう。


先日こんな話を聞きました。
子供の感受性教育に携わる専門の方からきいたお話です。

今の教育界には、「子供の感性を養わなくてはいけない」「創造性を養わなくてはいけない」という課題があって、そのために「子供をのびのび育てましょう」という意見も出ているらしいんですが、実は子供はのびのび育てるだけでは感性は身に付かない、というのです。

例えば秋のススキがきれいな時期、国定公園あたりのススキが一面に咲いている場所に子供たちをつれていって、
-さあのびのびと遊びましょう!
と言って、子供たちを勝手にあそばせて、それで感性が身に付くかといったら、身に付かない。それは違う。

何が違うかというと、ススキのきれいな公園で遊んでいても、子供たちには「ススキがきれいだ」という感性は、まだ身に付いていないわけです。
つまり、その時点での子供たちは、まだススキを「きれいなもの」として見ることができないのです。

もちろん視覚などの「感覚」は生まれつきですから、ただ単にそこにススキというモノがあることは見える。
しかし「きれいなススキがある」ことは見えないんえす。
で、子どもたちが「きれいなススキ」を見ることができるためにはどうするか。こうするんだそうです。

そのときに先生はじーっとススキを見ている。
すると子供たちが、

-先生、何見てんの?

と先生のそばに来る。そこで先生は

-ススキを見てるの。きれいでしょう?

と言う。しかし子供たちには「きれいに」は見えないから

-どうして?

ときく。そこで先生は言うんです。

-じゃあユージくん、こっち来てちょっと一緒に見てごらん。ほら、こうやってススキを太陽に当てて振ると、キラキラ光ってきれいでしょう?

その時に子供は気づくわけです。

-そういうふうに見るとススキはきれいなんだ。

と。そうするとそういう「感性」が身に付く。
感性を支える「ススキはこういうふうに見るときれいなんだ」という知識が身に付く。そこで先生が

-じゃあこういうきれいなものをいっぱい探そう!

と言うと、どんどん探すことができるそうです、ススキ以外のものも。

-先生、これもこうやって見るときれいだよ。


(中略)


感性はみがかなければなりません。
感性が乏しいと、ものが見えてこないですから。

まったく同じものを見ていても見えない。
そのために必要なものは、実は生まれついてのうんぬんではなく、「知識・情報」なのです。

知識・情報が増えてくると、より一層ものが見えるようになる。
見えてくると、何を見ても見え始めるから、また知識・情報が入ってくることになります。


あなたにもできる 「惚れるしくみ」がお店を変える! 大繁盛のしくみづくり
小阪裕司/2000年11月29日/フォレスト出版

240pから244pより引用

ですので何も写真に限った話ではなく、見る力というのはいたって普通の事であると言えます。
でも↑に挙げた2つの要因によってそれが阻害されていたという話なだけだったんですね。

僕自身にしても小学校の時からプロレスを見始めて、最初の頃は好きな選手の必殺技しか見ていなかったのですが、だんだんとプロレスを見る力(感性)が磨かれていき、今では全く知らない団体の全く知らない選手の試合も楽しんで見る事が出来ます。

そして有名無名・スター選手・中堅選手に関わらず「この選手うまいな」という判断もする事ができます。


注意深く、能動的に

写真を何となく受動的に見ていたのを止めて、注意深く能動的に見てみましょうという事になり、これはテクニカルな手順みたいなものがある訳ではなく、どちらかというと心構え的な事の方が大きいです。

それでもあえてステップを設けるならこんな感じになります↓


STEP0 SNSはお休みしてみる

上で述べたように写真が洪水のように流れていますので、とりあえずはお休みしてみましょう。
写真系のブログをやっている方はギャラリーページを作っている方もいるので、そちらがオススメです。

あと、SNSでも「coten」はOKです。
coten | 写真の本気と出会う場所
cotenは、写真展や写真集といった本格的な写真表現を無料で気軽に楽しむことができる、写真好きのためのSNSです。14日間タイムラインに埋もれることのないWeb個展を開催できるほか、誰でも簡単に自分だけの写真集を作成・販売することもできます。


できればパソコンの大きな画面で見る事がオススメで、それが無理なら(無理じゃなくても)写真集を1冊買ってみましょう。

要はじっくり鑑賞できるものなら何でもOKです。


STEP1 まずは受け入れてみる

自分の好きな被写体やジャンルの写真を見るのは楽しいものですが、 そうじゃ無い写真を見る時は結構苦痛だったりします。

また好きなジャンルであったとしても、自分では気がついていない視点で撮られている写真も見辛いものですが、まずは受け入れてみましょう。

これは本当に辛いですが、筋肉に負荷をかけている状態に似ているので、結構鍛えられ、後に大きな力となります。


STEP2 自分がその場にいるつもりで見てみる

これはすごく効果的です。
自分がその場にいるつもりで、そこに写っているものを五感で感じてみましょう。

風景なら水や風の感触、食べ物なら味覚を使って実際に味わってみます。
これは能動性を大きく発揮しなければいけないので最初はしんどいですが、慣れてくると無意識に出来るようになるので、この後に好きな写真を見たらより深く味わえるようになります。

僕はこれを「写真の世界にダイブする」と言ってますが、カラーより白黒の方がダイブしやすいです。
実際にやってみるとカラーの色情報がダイブする際の壁になっているという事が解ると思います。


STEP3 ひたすら繰り返し、昔見た写真を再び見てみる

写真を能動的に見るのはエネルギーがいるので最初は辛いですが、それをひたすら繰り返す事で確実に見る力が付いてきます。
その際は昔見た写真をもう一度見てみましょう。

以前に買った写真集で、買った当時は思っていたのと違って何が良いのかさっぱり解らなかった写真でも、感性が磨かれたおかげで新しい見方が出来るようになっているかもしれません。

また自分が昔撮った写真で、撮ったその時はイマイチと感じていたとしても、時間が経って再び見てみたら「意外に良かった」という事は往々にしてあります。

これは感性だけの問題では無いと思いますが、新しい視点を得た事により違う見方が出来るようになったという意味では大きな進歩と言えます。


それでも好みの問題はある

それでも好みの問題というのは必ずあります。
しかし最初から「好きじゃないから」という理由だけで好きな写真しか見ないのと、感性を磨いた上で好みで処理するのとでは意味合いが全く違ってきます。

それは音楽でも映画でもプロレスでも、あなたが普通の人よりも詳しい分野の事でも同じ事でしょう。


終わりに 感性を磨きすぎると

この感性というのは磨きすぎると、しまいには作者が見えていないものも見えるようになってきて、本人ですら良いと思っていない写真でも「これは良い写真だね~」という事が起こってきます。
これは写真は複写であるという性質がそうさせているのでしょう。

「見る」とは「観る」とも書き、それはすなわち「観念」であり、怪しい言葉でいうと「業」や「カルマ」にも通じて来ます。

本当にそれが写っているのか、はたまた見た人の観念が投影されているだけなのか?
僕はこの領域には達していませんが(決して望んでいる訳ではないのですが)この先どんどん感性を磨いていくうちに解る事でしょう。
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