写真でよく言われる「主役を明確にしましょう」を具体的に説明します


重要な事なのに、あまり語られないのが残念

「写真は光だ!」「いやいや、写真は構図でしょ!?」等、人によっても写真の重要な要素というのは意見が分かれるものです。(時にはケンカになる事も…)

色んな意見がありながらも、全員が納得してくれるのは「自分は一体、何を撮っているのか?」をハッキリさせるという事ではないでしょうか。

これはよく言われる「主役を明確にしましょう」という事でもあるのですが、そもそも「何を撮るのか?」が明確になっていないと、どういう光で撮るのか?とか、どういう構図で、どういうレンズ(画角)で撮るのか?とかも決めようがありません。

こんな重要な事柄なのに、写真の上達系の本でもあまり多くは(最初の数ページくらいしか)語られていません。

そこで今回はこの部分を現場レベルに落とし込んでお話していきます。

何を撮っているかが明確になるだけで、写真はずっと良くなります。

風景写真やスナップ写真についてはこの限りではありません。


心の琴線に触れたものに出会う事がスタート

この記事を読んでいる方はアマチュア写真家の方だと思うので、対象となる被写体は「自分の心の琴線に触れたもの」とさせて下さい。

誰かから依頼されたり観光地のシンボリックなもの等、撮るべき被写体が決まっているというパターンはここでは扱いません。(と言うよりも撮るものが決まっているので、ここで論じる必要は無く、それはもう次のステップにあります)

街を歩いていて、はたまた旅行先で何らかの琴線に触れた場面と出会った所からがスタートになります。

より多くの琴線に触れたものと出会うには心のアンテナをビンビンにしておく必要があります。
調子が悪い時はアンテナの感度が弱く、普段なら何か感じるものにも反応する事が出来ないという事も珍しくありません。

そして思うようにシャッターが進まず、1匹も魚を釣れていない時と同じ心境になり、焦りから無理やり何かを撮ろうとしてしまいます。

そういう状態で撮った写真から良い作品が生まれた試しがありません。

より多くの作品を撮りたい場合はより多くの琴線に触れたものと出会う事。
その為にはコンディションを整えて当日の撮影に挑む必要があります。

これはテクニカルな事以前の問題になります。


琴線に触れたものを発見!

そしてめでたく「おっ!何か良いな!」という光景に出会ったとしましょう。


例えばそれが↑の様な所ならおのずと主役は解りやすいのですが、実際は「どの部分が琴線に触れたんだ?」と迷う事がほとんどです。

これは2つの原因があります。


1.情報が多すぎて1つの光景の中に色んなストーリーが含まれている

特に街中はこれが強いです。

本来の琴線に触れたもの以外にも別の琴線にも触れてしまい、それらを全て1枚の写真に収めようとしている状態で、まさに「あちらを立てればこちらが立たず」というやつです。

都会は誘惑が多いので、ここは是非初志貫徹して最初の琴線に触れたものをロックオンしましょう。

そしてその後に次の琴線に触れたものを考えればOKです。


2.名脇役に引っ張られている

これはある程度主役が絞り込めている時にありがちな事で、本来脇役であるべきものに主役の存在を喰われてしまい、そっちをメインに構図を考えて「あれっ!?」となってしまっている状態です。

これはもう脇役という概念を自分に叩き込んで、速やかに脇に回ってもらいましょう。


パーツ毎に分けていく


1と2のどちらにせよ、うまく回避する方法があります。

それはその光景にあるものをパーツ毎に分けていく事で、そしてどれが琴線に触れたものなのか?を1つ1つ吟味していく事です。

パーツと言ってもこれまた区切りが難しく、単純に「車」「看板」「木」という物体の事だけでは無いので、例を挙げてみます。


1.単体物


これが一番解りやすいです。
目に見えるものですし、そのままですので迷いにくいですね。

ただ、この中にも更に「真の琴線に触れたもの」が隠れている事もよくあります。
それが次です。


2.単体物の中の更に一部分


こっちの方が真に撮りたかったものだった場合も結構あります。
被写体をよく観察して、どこが一番良かったのか?を自分に問いかけてみましょう。


群をなしている


↑の写真は駐輪場ですが、単体の自転車ではなく複数の自転車がまとめてそうだという事もよくあります。

自転車以外にも「看板」「鳥居」「人混み」「狸の置物」等、一体どれがそうなんだ?と悩んだ挙げ句、実は群そのものが一番琴線に触れたものだったというのはよくある話です。


無形のもの


これまでは形のあるものでしたが、形が無いものが琴線に触れたという事もよくあります。

↑の写真で言えば自転車というよりも「等間隔」がそれに当たったり、それ以外にも「奥行き感」「光と影」はよく見られます。


色々と吟味した結果、自分の一番琴線に触れたものが決まればもう半分は終了したも同然です。
次のステップに移りましょう。

というよりも、頭の中で写真が出来上がっている事も多いと思います。


どうしても解らない場合は、一旦その場を離れる

色々と考えに考えた挙げ句、どうしても解らない場合は一旦その場を離れてみてください。

これは写真あるあるなんですが、1つの被写体を「ああでもない、こうでもない」と色んな撮り方をした挙げ句、結局「これだ!」という写真が撮れなくて、泣く泣く家に返ったとしましょう。
すると帰りの電車や家に着いてから「そうか!こう撮れば良かったんだ!」と急に降ってくる事がかなり多いです。

これは意識を別の所に持っていった事で頭の中の情報が整理されたからで、色々と思い悩んだのは決して無駄な事ではなく、プロセスとして必要な事です。

肝心なのは急に降ってきたとして、もう一度そこに行く気力があるか?という事です。
帰宅してしまったのなら後日もう一度訪れる、次の撮影ポイントに移ったのなら、引き返す気力があるかという事です。

色々なプロセスを経て導き出したそれは後々名作になる事が多いです。
面倒くさい気持ちは凄く解りますが、重い腰を上げてもう一度訪れる事をオススメします。

琴線に触れたと言っても、ほんのちょっと針がピクッと動く程度のものから、魂が歓喜するくらいのものまで様々な振れ幅があります。
触れた琴線の度合いと相談しても良いでしょう。


それでも主役が決まらない場合は

どれだけ考えても全く主役が決まらない事もあります。

これも2つの原因があります。


1.肉眼ではなく、心の眼で見た光景が写し出されている

これは結構多く、しかもやっかいだったりします。

心の眼で見た光景はそこに無いものまで写し出してしまい、そして多くの場合は心の眼で見た光景の方が表現したいものだという場合が多いです。

これも更に2つのパターンがあります。


肉眼の光景はベースだが、今無いものが写し出されている

心の眼で写し出されている光景は確かに目の前にある光景だけど、何かが違うという場合は今現在だけそこに無いものが心の眼には写し出されているという状態なので、条件が揃い次第写真が完成します。

そしてその無いものというのは、大抵が「光」か「人」です。


全く違う光景が写し出されている

心の眼というのは要するに人間の脳の事ですから、何か昔の記憶が掘り起こされたのでしょう。

肉眼に写ってないものがそこにあるという事は物理的に表現不可能なので、そういう場合は諦めましょう。
しかし不思議な事に全く別の場面であの時心の眼で見た光景に出会う事もあります。

ただ、その光景を見て昔の記憶が掘り起こされたという事は、そこにある”何か”が引き金を引いたという事ですから、それを主役にするというのはOKです。


↑の写真はまさにそれで、主役はホームベースですが別にホームベースを撮りたかった訳ではなく、「かつて少年達がグランドを走り回っていた姿」を撮りたかったので、色々考えて表現してみました。
心象風景写真ってやつですね。


2.そもそも琴線に触れていない

これは琴線に触れたものと、ただ”珍しい”だけのものは違うという事です。

初めて行く場所やあまりシャッターが進まない時に珍しいものに目が行ってしまう事は多いですね。(それはそれで全然OKなんですが)


最後に 自分は一体、何が撮りたいのか?を明確にする。これが一番大事な時間

写真を撮る時間の中で「自分は一体、何が撮りたいのか?何に琴線が触れたのか?」という事を明確にするのが一番大事な時間になります。

僕の経験からしてもこの作業をきちっと行う時は好きな写真が生まれる確率が高いですし、逆にこの作業をやらずに撮ると良い写真が1枚も撮れなかったという事もよくあります。

そしてすごくエネルギーを使う作業でもありますから、時には億劫にもなります。

ですのでコンディションを整えて撮影に挑む必要があり、僕は撮影に行く前日はお酒を飲まず早く寝るようにしています。


このテーマに関しては言葉の言い回しが難しく、文章にするとやたら小うるさく聞こえてしまいますが、全ての人に強いるものではないという事も付け加えておきます。
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