承認欲求むき出しの人よりも、もっとやばい存在


ここ数年で「承認欲求」という難しい言葉が一気に一般化されましたね。
元々は心理学でもやっていない限り耳にするような言葉ではないのですが、原因はやはりSNSの出現でしょう。

僕はツイッターで自分の撮った写真を公開しているのですが、「いいね」がたくさん貰えるとやっぱり嬉しいですし、思ったよりもいいねが少ないとへこんだりしてしまいます。

こういう事を繰り返しているものだから、定期的にいいねの快感に憑りつかれて自分を見失ってしまう事があります。

自分なりに良い写真を出した結果に対しての「いいね」だったはずが、いつの間にか「いいね」を多く稼ぐ事自体が目的になってしまい「スゴイ写真を撮ってやろう!」と息巻いては、それ以外の写真をバッサリ切り捨てたり…。

更に始末の悪い事に変な競争原理が働いて、いいねをたくさん貰っている人に嫉妬したりまでしてしまいます。

完全に自分軸からいいね軸になってしまっていますね。
ここまで来るとちょっとやばいので、そんな時は少し距離を置いて頭を冷やすようにしています。

承認欲求及びそれに付随する色んなものが肥大していくのでしょう。

SNSはそういう欲求が育ちやすい環境とも言えますね。
なので中にはそれを満たしたいが為に人に迷惑を掛けたり無茶な事をしでかす人も色々と出てきます。(全てが全て承認欲求が原因とは思いませんが)

ただ、そんな承認欲求がむき出しになっている人よりも、心の面でもっと不健康な状態の人がいるのも事実です。
今日はその事についてお話していきたいと思います。


そもそも承認欲求は誰にでもある

この承認欲求というのは昔、何とかマズローさんという方が提唱した「欲求段階説」という所から来ています。

人間には6段階の欲求があり、1段階目の低次な欲求から始まり、最後は自己を超越した高次の欲求にたどり着くというものです。
そして承認欲求は上から3番目の欲求に位置付けられています。

この話をすると長くなるのでここでは述べませんし、これが本題ではありません。
解って欲しいのは承認欲求は誰にでもある自然なものだという事です(しかも上から3番目という事は承認欲求はまあまあ高次な欲求だという事になります)。

それが強いか弱いか、変な方向に行っているか上手く処理しているかの違いだけです。

嫌われる勇気でお馴染みのアドラーは承認欲求を否定していますが、別に承認欲求は存在しないと言っている訳ではありません。他者から承認を得てウェイウェイしているその様を否定しているのです。


承認欲求がむき出しな人


いくら誰にでもある自然なものだからと言って、それを満たす為に人に迷惑を掛けてはいけません。
現在色んな所で叩かれているのはこの人達ですね(職場、しかも飲食店で不衛生な事をやったり)。

そこまでいかなくても誰もが簡単に何かを発信できてしかも簡単に反応が返ってくるツールがある。
そしてその結果必要以上に色んなものを肥大させて、むき出しになりすぎた承認欲求が目に余っているというのが現在の状態という訳ですね。

これは、はた目にはどうしようもない話で、あえて解決策を言えば自分が目をつむるしか無いでしょう。

しかし良いか悪いかは完全に別ですが、むき出しになっているという事は表面にあるという事なのでストレートな分だけマシという見方もできます。(繰り返しますが良いか悪いかは完全に別です)

実は表面とは逆に、奥に入り込んでしまっている方がもっとタチの悪い状態なんです。


むき出しの反対は「抑圧(よくあつ)」これが一番やばい


一方で表面的にはそういう所を見せずに、心の奥に承認欲求を隠し持っているという人もいます。
そういう人は見た目は控えめで、あたかも承認欲求なんか持っていませんという感じなので、人当りが良い風にも思える事が多いです。

しかしある程度付き合うとボロが出てきます。
言動の端々にそれがにじみ出ていて、 ストレートな承認欲求の人よりも嫌な感じがします。

さっきのむき出しの人とは反対で、承認欲求を抑圧している状態なんですね。
この抑圧状態は本人にもはた目にもすごく精神衛生的に悪く、乗り物酔いをして吐き出したいけど吐き出せずにため込んでいるのと同じようなものです。


ペルソナ地獄

そしてこの抑圧にも何段階かあり、最初は単に「我慢している」という状態。
これもキツイですけど、我慢しているという事は自分には承認欲求があるという事を自覚出来ている状態なので、まだマシだと言えます。

欲求を抑えてどんどん奥に追いやると、しまいには最初から無かった事にしようと心が働きます。
しかし本当に無い訳がないというのは本人が無意識で一番よく解っていますから、その上にフタをかぶせてしまいます。ペルソナという名のフタを。

ペルソナ:外向きの表面的な人格。仮面。

大概は抑圧している逆の性質の仮面をかぶるので、無欲で控えめな人格を演じるようになります。

それでも承認欲求は無くなりませんから、いずれはそのペルソナにも影響が及んできます。
すると更にその上にペルソナのフタをかぶせる事になり、以降それが繰り返されて、しまいには何重ものペルソナを形成する事になります(そしてどれが本当の自分かが解らなくなる)。

あまりに何重ものフタをかぶせすぎると、いよいよ感情の一部が失われ何も感じないという感覚に陥ります(サイコパスとまではいかないですが、性質的にはそれに近いものがあります)。


承認欲求を抑圧しているかどうかが解る簡単な方法

承認欲求を抑圧している人は抑圧している訳ですから、当然自分に承認欲求があるという事に気が付いていません。

そこで承認欲求を抑圧しているかどうかが簡単に解る方法をご紹介します。
承認欲求がむき出しになっている人を見て憎悪に近い感情を持つのなら、その可能性が高いと言えます。

訳の解らない動画をSNSにアップして、その不謹慎さにイラっとしているとかではなく(それは誰でもです)、あくまでも吐き気がする、ヘドが出るレベルの憎悪です。

承認欲求を抑圧して心の奥底に追いやったとしても、それが無くなる訳ではありません。
それ所か抑圧された欲求は外に出ようと余計にエネルギーを増します。

そのドロドロしたものが丸ごと外部の誰かに反射されているので、もの凄い憎悪が沸くという訳です。
実は承認欲求むき出しの人に対して憎悪を抱いてるのではなく、 その人に映し出されている抑圧した欲求に対して憎悪を抱いているというのが本当の所です(こういうのを「シャドー」と言います)。


解決策


これをやれば治りますみたいな明解な方法はなく、かつディープな話にもなってくるので解決策と言えるかは解りませんが、ガイドラインみたいなものを示しておきます。
もし自分が抑圧をしているっぽいと思ったら、参考にしてみてください。

そもそも何故抑圧してしまうのかと言うと、原因は「〇〇してはいけない」「〇〇であるべきだ」等という観念です。


本来は自分の欲求をストレートに表現出来ていたのですが、





年齢を重ねるにつれて色々な観念が出来上がって素直に表現するのが難しくなってきます。





観念が少なければまだマシなのですが、これが多い人は表現する事も難しくなってしまいます。


観念を減らしていく事が解決のカギ

観念の原材料は色々な言葉や情報、そして映像からの刷り込み、または自身の体験によって出来上がるもので、子供の頃から繰り返し刷り込まれ続けたり、辛い体験を通して出来ていきます(人前で恥をかいた、笑われた、怒られた等々文章で書くと柔らかく聞こえますが、相当どぎつい体験をした)。

この観念を少なくしていく事が抑圧状態から解放される方法になるのですが、これはいわゆる潜在意識や無意識という領域の話になり、その部分を直接いじる必要があります。

こうなってくるとスピ系の話になってくるので賛否両論あると思いますが、仕組みとしてはそんな感じです。

有名どころでは記憶をクリーニングする「ホ・オポノポノ」とか、感情を手放す「セドナメソッド」等があり、また瞑想も効果があります。
もし興味があるのなら、この世界の門を叩いてみてください。


終わりに

このブログは写真系のブログなので写真と絡めて話をしていこうと思っていたのですが、結局絡む事なく最後まで来てしまいました。

結局何が言いたかったのかと言いますと、本当にタチが悪いのはストレートな承認欲求ではなく、無欲で無垢な仮面を被った承認欲求の方だという事です。

抑圧系の方はネットで見ている分には目立つ事も無いので周りには害はありませんが、それが積もり積もるといずれ大爆発を起こす原因となります。
そうなるととんでもない事になるので、一応警鐘を鳴らしてみました。
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